<ぴよぴよ辞書>超画期的日中フレーズ集共同編集(快速検索)

謙虚という平安

今日は「謙虚」という言葉をハックする
 

謙虚でいられることはありがたいことです。

それはなりたければなれるものではない。
なろうとするときに限って、それは砂のように、
握った手から逃げていく。

謙虚でいることで、やすらぎを感じます。

慌しくなく、平穏な心。
 

周りにきちんと挨拶すること、

後輩に対しても礼儀正しく振る舞うこと、

時間を守ること、会議中は他人の発言に耳を傾けること

それらはすべて謙虚でいること、謙って相手を尊重する姿勢ではないのか。

あらゆる場面で自分に与えられた領域を越えず、自分の責任を果たす。

落ち着く。
 

「全ての問題は高ぶりにある」。

ある人生の先輩に言われた。

自分が直面するあらゆる問題の本質を考えれば、

確かにそこには高ぶりがあった。

人の成長とは、きっと、

あらゆる場面、あらゆる人を相手にとっても、

心が高ぶらないでいられることだと思う。

 
しかし、人は自ら謙虚になれない。
人は生れながら高ぶりだから。
それは神様がまわりの人物事をもって、
ダイヤモンドのように硬い自己の殻に一撃を加えるから、
自分の高ぶりは打ち砕かれて、
自分は何者でも無いことに気づかされるのだ。
感情的には苦しいかもしれないが、
この上ない恵みと救いではないか。
 
そう、最近は怒られたんだ。
それで、暴れ馬のように走っていた自分は止まった。
それで神様に語ってみたんだ。
そしてやっぱり自分が悪い、
さらにその原因は「自分は偉い」と思っていることなのだと。
罪を告白し、自分のいるべき地位に下り戻ったとき。
まわりに対して素直に感謝の気持ちを持てるようになった。
 
落ちるべきところに落ちて、
自分いるべき居場所に着く。
落ち着くとは、そういうことではないか。
 
別に周りは変わっていない。
悪いやつもいいやつもない。
なにが変わったのだろう。
 

思い出した。高校生の時、

喉が腫れて入院したことがあった。

ポカリスエットがただの塩水の味しかなかった。

非常にまずかった。
 

それは自分にとっては主観的で真実な味だった。

でも事実ではなかった。

ポカリスエットはいつも美味しかったんだ。

自分が病気で不正常だったから、

本来美味しく味わえるものが美味しくなくなった。

そして正常になった時、普通に美味しく感じた。

きっとそういうことでしょうね。

 

だから、明日の自分に言い聞かせるよ。

周りがうんざりになった時、

景色がモノクロになった時、

それは自分の心が病んでいるときかもしれない。

 

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